2012年4月21日土曜日

AGP 第5号



AGP日本語通信 第5号 (2012年4月号増刊)


ついに増刊号まで出します。集まった原稿が多いので。今月から始まった「日本語によるインド文化講座」で、MA課程生がこのような話をしました。


インドの食生活

 皆さんはインド人は毎日どんな食事をしていると思っていますか。
インドのレストランで有名な料理をいつも食べていると思っているのでしょうか。でも、そんな料理は私たちはたまにしか食べません。
 日本人によく聞かれる質問、「インド人は毎日カレーを食べていますか」に対する答えとして、インドの食生活について説明させていただきます。
 インドはとても広い国で、インド全体について話すことはできないので、南インドについて強調して話したいと思います。また、私たちはベジタリアンで、ベジタリアンのことしか話せません。
 インドの地図を見てみましょう。南インドはケーララ、カルナータカ、タミルナードゥ、アンドラプラデーシュの四つの州です。これらの州に共通なものと特殊な料理について説明させていただきます。
 まず、朝ごはんを見ましょう。朝ごはんの時間は家族によって違いますが、普通みんな7時から10時の間に朝ごはんを食べています。朝ごはんでよく作られる料理は、イドリー、ドーサ、ウプマなどです。カルナータカ州の特有の朝ごはんは、ラワイドリー、ラーギロティなどで、ケーララ特有のものは、アップン、イディヤップン、プテュなど、タミルナードゥはポンガルとイドリーです。週末や時間があるときにプーリーやワダなどを作って食べる人も多いです。
 次は昼ごはん。昼ごはんも朝ごはんと同じように時間が違っていますが、多くの人が食べるのは1時から2時の間です。晩ごはんにも昼ごはんと同じようなものを食べます。晩ごはんの時間は普通8時から10時の間になっています。特別な日やお祭りの時はいろいろな種類のものを作って食べますが、うちで食べるときは、ごはんと一つのカレー、野菜と豆で作ったサンバルやラサムとヨーグルトライスを食べるのが普通になっています。でも、今は健康のことを考えて、ごはんの代わりにチャパティを食べる人も少なくないです。南インドのカレーというものは野菜炒めで、グレービみたいになっているものはありません。食事ごとに豆、野菜、お米や麦を使っているのは、たんぱく質、炭水化物、ミネラルとビタミンが全部入っているので、バランスが取れているといわれているからです。
 インドは晩ごはんが遅いので、昼ごはんと晩ごはんの間に軽食を食べる人が多いです。軽食には果物が多いですが、最近はジャンクフードを食べる人も多くなっています。
(アラティ・ゴパラクリシュナ)
お祭りの昼食

 次は、インドの食料品について説明させていただきます。CNN-IBNの調査によると、インドでは約40%がstrict vegetarianで、non vegetarianも、週に二三回しかお肉やお魚を食べない人が多いそうです。Vegetarian は牛乳はOKですが、お肉やお魚を食べません。昔はvegetarian の数はもっと多かったですが、国際化の影響でだんだん減っています。
 インド人はどうやって必要な栄養素を取っているのでしょうか。


 インド食にはいろいろな種類の豆やダールを使います。豆の皮をむいて半分にしたものをダールと呼びます。豆やダールはたんぱく質やミネラルに富んでいるうえに、消化吸収も早い。豆を10時間ぐらい水につけて(豆の種類によって時間は変わりますが)、少し塩だけ入れて、だいたい15分ぐらい圧力鍋で煮て食べても美味しいです。Uridダールは発酵のために使います。ドーサとイドリーにしか使いません。また、インド人の野菜や葉物の平均消費量も多いです。インドにしか栽培されていない野菜はいくつもあります。メーティは少し苦いですが、鉄分が多いです。ウォンデラガは脳にとてもいいといつも母に言われました。

 それから、香辛料の使用はインド料理の特徴です。香辛料は、味付けだけでなく、漢方薬の役割も果たすので、少量用いると健康にとてもいいと研究でわかっています。風邪をひいたとき、せんじ薬を作って飲むとよく効きます。
 胡椒は消化器病の治療に使われています。

 シナモンは料理以外に、風邪の薬や消化剤として使われます。
 アジュワインは(下剤としてもつかわれています。
 ショウガは関節炎の治療にも使われています。
 特にタメーリックは酸化防止成分が豊富にあるので、毎日少し食べると、癌やアルツハイマー病を防ぐこともできるそうです。

 インド食のもう一つの特徴は、粟を利用していろいろな料理を作ります。粟の値段は安いので、今まで農民や労働者がよく食べていましたが、最近、栄養価が高いので有名なクリケット選手や俳優まで主食として食べるようになりました。
 粟の種類を見ましょう。
 カルナータカ州では「ラーギ」という小さな黒い粟を材料として、お粥、ドーサ、スムージーやクッキーなどを作ります。焙煎したラーギの粉と砂糖をバターミルクに混ぜて、手軽にスムージーを作れます。
 ラーギの栄養価をお米と比べてみましょう。
ラーギの栄養価
100g当たり
ラーギ
   米
カルシウム(mg)
350
28
鉄分(mg)
4
0.8
たんぱく質(g)
8
7
ミネラル(g)
2.7
1
エネルギー
328kcal
130kcal
ファイバー(g)
3.6
0.3
 お米に比べたら、ラーギの栄養価が高いです。それに、ラーギはグルテン、ナトリウム、コレステロールやでんぷん質を含んでいないので、健康食品として流行っています。
 ラーギは黒い粟ですから、何を作っても黒くなります。だからラーギは見た目は悪いですが、いい点だけ見て、多くの人々が食べるようにしたら、体がよくなるでしょう。
 南インドの主食は米ですが、北インドの主食は麦です。北インドでも南と同じように野菜と豆を使った料理をしますが、ご飯の代わりにチャパティやパラタを食べる人が多いです。同じ国で違う主食があるのはインドの特徴だといわれています。

 インドの農業情報のある地図をお見せします。この地図に見るように、北インドでは小麦を多く作っていて、南ではお米を作るところが多いです。つまり、その地域によく作っていたものを食べていたと思います。

結論
 もともとインド食は健康的で美味しいですが、最近はジャンクフードの普及の影響で心臓病や糖尿病が流行っています。みなさまもシンプルなインド食を試してみてください。
(スマ・アガラ)

サリー


 サリーは5000年も前からインドに存在しており、リグ・ヴェーダ(紀元前230年)にもサリーについて記録があります。
 おもしろいのは、当時は男でも女でも着ていた服はサリーだそうです。もちろん着方がちがいました。ここでみられるのは男性用です。

 サリーにはいろな種類があることを皆さん知っていますね。その生地も地方によって違いますが、そのうち一部だけご紹介させていただきます。
 北インドのバンディニ(Bandini)。ラジャスタンとグジャラートが発祥地。晴れ着で、明るくてカラフルです。
 ラクナウ(ウッタルプラデーシュ)のチカン。
 バナラシ・サリー。起源地はバナレシ。ふちが特徴で、花嫁のサリーに欠かせない一品。
 ベンガルコットンは西ベンガルの特徴的な木綿で、薄い。晴れ着としても日常着としても使える。
 これも西ベンガルの生地で200年以上の歴史をもつ。絹の糸だけを使う。特徴は、ふちにラーマヤナやマハーバーラタのエピソードが描かれている。
 タミルナードゥ州の独特な絹、Kanchuupuramシルクです。結婚式にはこれが決まりです。本物の金や銀の糸でできたBorderですから高いですよ。
 Chennai Silks というサリーの店は、このサリーをGuiness World Record Book にのせてもらおうと努力していますが。このサリーはいくらだと思いますか? 50万ルピー、つまり10万ドルです。
 マイスール・シルク。シンプルできれいな色が特徴で、安くても7000ルピーですよ。
 ケララ州のMundu。白はその蒸し暑い気候にてきしています。
 サリーの素材も着方も地方によって変わりますが、北と南ではなはだしく違います。
 バラモンの結婚式のとき着るサリーをMadisarと言います。長さは9mで、普通のサリーの着方と違います。
 毎日きるのは、200ルピーから1500ルピーの値段で買うことができる木綿と化学繊維のサリーで毎日の洗濯に適しています。

 どうしてサリーなのか? ヒンドゥー教においては布を縫うのは不浄でした。
 おへそは生命と想像力の源泉と信じられていたので、おへそをむき出しても大丈夫です。おへそや背中をみせても大丈夫です。

 サリーと一緒に使うアクセサリーとして、もちろんぴったりしたブラウスとペチコートはいうまでもありませんが、他にBindiと腕輪とイアリングなども必要ですね。
 こんなにたくさんの金や銀の装飾品をどうやってもっているんですか? 子供が生まれて11日から3ヶ月までの間に、名前をつける行事をおこないます。そのとき金のイアリング、ネックレス、腕輪などをおじいさんおばあさんにかってもらいます。私の娘の1歳の誕生日のお祝いにも、祖父母からネックレスと腕輪とイエアリングをもらいました。
 タミルナードゥ州ではTemple Jewelleryが特徴です。ケララ州は金が大事ですが、カルナータカもアンドラと同じく金と宝石です。アンドラ州はタミル州と同じくTemple jewelleryと金でできた宝飾が特色です。
 結婚した女性の印として使われている宝飾は、首にするMangalsutra (Thali)、鼻のピアスとイアリング。
 Mangalsutraは夫婦の切っても切れない関係を示します。
 体中のエネルギーは額の真ん中、つまり眉毛の間のところからでてしまうのです。そのエネルギーを保つために、そこにBindiをつけます。特に、結婚した女性の印は赤いBindiです。
 耳や左鼻をピアスすることによって、出産は容易になるそうです。インドでは紀元前から今までピアスすることが続いています。
(ショバナ・クリシュナムルティ)


セルワーカミーズ

 セルワーカミーズは、もともとはペルシヤの服で、ムガルによって伝来した着ものです。ムガル皇帝の服で、男性と女性に愛用されていました。今は普通に女性の服となっていますが、ちょっと違った形で晴れ着として(結婚式、祭りなどのとき)男性も着ています。
 セルワーカミーズには上の部分、下の部分、それからドゥパッタの三つがセットとなっています。下の部分ですが、だぶだぶしたものとぴったりしたものがあって、だぶだぶなのをセルワー、ぴったりなのをチューリダーといいます。どっちもドゥパッタをしますが、そのドゥパッタの仕方がいろいろあります。ドゥパッタが不便だといってしない人がふえていますが、よく考えるとドゥパッタはとても便利なものですよ。インドは日ざしがつよくて、日焼けから顔を守るためや、大気汚染から口をまもるために、ドゥパッタが使えますし、急に雨が降り出したら、助けてくれます。ドゥパッタは長いので、自分だけじゃなく、いっしょにいる友達や赤ちゃんを助けてあげることもできますね。
 下の部分についてです。インドの暑さのため、特に今の時期はだぶだぶしたサルワーはとても楽です。サルワーにプリーツがものすごくたくさんあるものをパティヤーラといいます。パティヤーラはある町の名前ですが、そこのスタイルといういみです。パティヤーラは薄くてなめらかな布でできています。普通に着るものは、プリーツを少なくしたものです。
 下の部分がぴったりしたものはチュリダーといいますが、その上の部分は、短いのも、長いのもあります。短いなら幅が広くないトップをきます。また、プリーツのある長いトップ、アナルカリーというスタイルのものもあります。インドでは、サルワーのファッションといえば、トップの長さや幅、袖の長さ、それから首のデザインが変わることです。最近は短いトップのファッションがはやっています。
 首のデザインですが、襟のあるネックだとドゥパッタをしない、開いたネックだとドゥパッタをするのが普通です。
 サルワーを作ってもらうのはたいへんだと思われたら、最近はやっている便利なものがあります。レギンスといいます。これは、いろんな色のものが売っているから、好きなクルターを買って、それにあわせたレギンスを買うこともできます。セットで買わなくてもいいですが、黒のレギンスはいろいろなものに合って便利です。
 今の若者はインド風の服と西洋風な服を組み合わせてきています。ジーンズとクルティスのスタイルははやっています。インドにいる日本人の方にもこのスタイルが好まれているらしいです。
サルワーやクルティスといっしょにするアクセサリーは、前見たよりシンプルなものです。銀やプラチナのものを使う人もいれば、もっと軽くて安いテラコッタのアクセサリーを好む人もいます。
 インドの食べ物や服はインドの気候に合っているものですから、インドにいるときぜひここの食べ物を味わったり、インドの服を着てみたりしてください。今日のプレセンテーションがそのためにみなさまの役に立てたら、嬉しくぞんじます。
(スシーラ・メノン)

(このようなインド文化紹介の催しを毎月1回行なう予定です。インドを知ることができて日本人も得、日本語の練習ができてインド人も得、双方一両得となれば。)


                                 日本語を習い始めた時
ギータ・ラグラーム
 
 大学に入る前に、日本会社で働いている友達から、日本人はいっしょうけんめい働くとか、謙虚だとか、いろいろな意見を聞きましたが、大学に入ったあと、本当にその経験をしたばかりでなく、インドと日本のいろいろな違った習慣も知りました。
 たとえば、日本では子どもが16歳でアルバイトをするのはふつうですね。一方私の国では、だいたいの人は教育期間が終わった後ではじめて仕事をします。インドの両親にとって、教育をうけている間に子どもにアルバイトさせるのは恥ずかしいようです。「お父さんにはお金がある。アルバイトの必要はない」と言う人は多いです。
 次に、挨拶のしかたです。日本語の先生は授業で丁寧語とか尊敬語とかいろいろな表現を教えてくれました。インド人はそのような挨拶の言葉をあまり使いませんから、インド人には覚えにくいと思います。私もいろいろな表現を覚えるのはいまも難しいです。
 日本語を習いはじめた時の話です。ジャパンハッバの最後に、みんなお互いに「お疲れさまでした」と言いました。その表現を言いたかったので、私も友達に「お疲れました」と言ってしまいました。友達は笑いました。今少しずつ勉強しています。
 漢字を習ったとき、漢字はとても難しいと思いました。いくら勉強してもすぐ忘れてしまいました。嫌だた思っていました。今も難しいですが、今はとてもおもしろいと感じします。漢字のロジックがわかるようになったからだと思います。
 それから、インド人はいつも直接的な言葉を使って話します。たぶん日本人が始めて聞いたら、異様で不敵な表現のように思うかもしれません。
 たとえば、日本人がバンガロール大学へ行きたくて道が分からないとき、何と言いますか?「バンガロール大学へ行きたいんですが…」と言って止めますね。日本人ならその文章の後ろの感じを良く分って返事をします。しかしそのようにインド人に聞いたら、インド人は「行きたかったら行ってくださいね。どうして私に言っているのかしら…?」と考えます。
 私の経験についてどう思いますか? 言ってください。みなさんもそのようにいろいろなおもしろい経験をしているかもしれません。そうだったらこのブログに投稿してください。


弁才天学芸祭 Saraswathi Academic Festivalのご案内

4月28日(土)14:00
サラスヴァティ賛歌
日印楽器演奏 ヴィーナ:シュリーヴィディヤ、尺八:秦 智
詩吟:秦 智、詩朗読:シュリーヴィディヤ
短歌・俳句奉納
落語「水がめ割り」
研究発表「南インドと日本の関係」
 (MA課程生:スシーラ、スマ、アラティ、ショバナ)
 だるま・桟留織・カレー・ヴィシュヴェシュワラヤ・絹工場・タミル語日本語同系説
       講演 加賀谷 忠夫「インドと私」(仮題)
       日印修交60周年記念作文コンクール「インドと日本の絆」結果発表・表彰


・奉納短歌・俳句・川柳募集

  南無妙音サラスヴァアティーおん神にわがへぼ歌を捧げたてまつる

 上達を祈願して、短歌・俳句を弁才天/サラスヴァティに奉納しませんか。インド人から川柳はたくさん集まりました。たとえば、

  結婚の 前は恋人 あとは敵 (LM)
  うつくしい 雨の音楽 つゆの日々 (ShG)


ランゴリ

 ランゴリはインドの伝統です。インド人が言う64の芸術のうちのひとつはランゴリです。家の前に手で米の粉を使って、自分のイマジネーションで絵を描くことです。
 昔々、家の前を牛糞を使った水で掃除して、その上にランゴリをしていました。どうして牛糞を使いましたか? だれかご存知ですか? 二つの理由があります。ひとつは牛糞は消毒剤であって、これを使ったら家の外にあるウイルス、バクテリアなどは死んでしまうと言っていました。ふたつめは、米の粉は白いから、牛糞の上に書いたらはっきり見えるからです。
 ランゴリは何種類もあります。ひとつは自由に書くものです。ひとつは、編み点を書いて、この点をつなぐものです。花を使ってデサインのようにするものもあります。これはケララの伝統です。お祭りのとき、いろいろな色を使ってランゴリを書きます。
 ランゴリをかくと、ありや鳥のための食べ物にもなります。インド人は、ありや鳥に食べ物をあげて、そのあと自分が食べたらいいと思っています。だから、朝早く起きて、家の前を掃除して、女の人がランゴリを描きます。そうすると、家の中に神様がよろこんで入ってくるといわれています。このようなランゴリは、家の前を明るくするとともに、人々の心も明るくします。  (レヴァティ)


ピースボートの一行を歓迎するためにランゴリを描く

2012年4月1日日曜日

AGP 4月号


AGP日本語通信 第4号 (2012年4月号)


   私が好きな日本語の言葉
ラーダー・G

 私は4年間ぐらい日本語を勉強している。でも、今までは自分が好きな日本語の言葉について考えることはなかった。しかし、今年からオラクルという会社で働きはじめて、毎日毎日日本語の言葉を聞いたり,読んだり,書いたりしているうちに、いろいろなことばがだんだん好きになってきた。
 まず、「仕事」である。日本語を勉強したことがきっかけで仕事ができることになってうれしい。私は2011年2月からオラクル社の経理部で働いていて、仕事が大好きになった。なぜかと言うと、私のチームは4人とも女性で、仲がいい。それに、私たち4人がいつも日本語だけ使っておしゃべりしたり、なにか料理を教えあったりしていても、ほかの人たちは分からない。それが楽しい。
 毎日日本語を使って仕事しているので、話すことや、どのようにお客様に回答したりするのはだんだん上手になってきていると思う。仕事はあまりむずかしくないし、毎日の仕事をできるだけ時間内にやってしまうようにしている。今も毎日練習をしながら楽しんでいる。先輩と練習するとき、いつも何か間違えて、「ああ、ごめんなさい、間違えました」と言うと、先輩は、「あのさ、敬語で話してね」と言うので、また「たいへん申し訳ございませんでした」と言う。こんなことが大好きだ。この仕事をやめたくないほど好きになってしまっている。12月25日には会社でクリスマスパーティーをやった。みんなの名前を小さい紙に書いて、みんなに配る。だれがだれの名前もらっているかだれにも言わないで、次の日だれも知らないようにプレゼントをあげる。この遊びの名前は「Secret Santa」だ。とても楽しかった。日本語がきっかけで、こんなに楽しい生活ができるとはぜんぜん考えてもなかった。私が思うに、ほかの外国語より日本語のほうが本当におもしろくて楽しい。だから、仕事も楽しい。
 二番目に好きな言葉は、「大阪」だ。「大阪」はひとつの地名だけど、バンガロール大学で勉強したこときっかけで、日本へ行くことができた。大阪にある留学生センターで6週間ぐらい勉強して、いろいろなことを習った。そして日本語の先生たちと友達になって、いっしょにいろいろなところへ行ったり、遊んだりして楽しかった。今でもだれかが「大阪」と言えば、鳥肌が立ってしまうほどだ。それくらい楽しかった。その6週間の間に、一人の女性と友達になって、一二度センターの近くの海へ行って遊んだのは忘れられない思い出だ。その留学生センターとバンガロール大学に感謝の気持ちでいっぱいだ。
 三番目に好きな言葉は、「怖い」。だれかに「好きな言葉は何ですか」と聞かれたら、私が何も考えないですぐに答えるのは「怖い」だ。なぜかと言うと、2年前私は日本語の勉強を始めた。最初の授業で先生が「どうして日本語を選んだのですか」と聞くと、みんないろいろなことを言ったが、私は何も言えなかった。そのとき、授業である映画の話を聞いた。それは「Grudge」という映画だ。それでそのDVDを買って、家に帰って夜に姉といっしょに見た。すごく怖かったし、日本の映画についての興味も大きくなった。
 私は日本へ行く前とても緊張してた。なぜかと言うと、初めて外国へ行くので、そこの人たちがどんな人かわからないし、何か困ったときどうしたらいいかもしらなかった。それで、日本語を教えてくれたインド人の先生に聞いた。その先生が言ったのは、日本人は本当に怖くて、困っても何も教えてくれない。どうして怖いのか理由を聞いたら、その先生が日本にいたとき、ある学校の生徒が友達の頭を切って、学校の前に引っかけたと言った。そのとき思ったのは、私が日本で何か間違えたら、このようにされのだろうかということだ。
 もう一つの怖い話は、私は日本にいたとき、13階に住んでいた。センターの図書館から幽霊の本を借りた。それはいろいろな幽霊の話の本だった。日本にどのような幽霊とかお化けがいるかについて書いてあった。日本の幽霊とインドの幽霊はだいたい同じだけど、インドに住んでたとき一度も怖いと思わなかったが、日本では一人で住んでたので、その上夜に一人で本を読んでたので、夜3時に目が覚めて、ぜんぜん寝られなくなった。足がない人が夢に出てきて、その幽霊が私を殺そうとしたので、目が覚めてしまった。外を見たらだれもいないし、一台の車も道にないし、すごく怖かった。

 それから、電話で怖いことがあった。日本に住んでたとき、となりに住んでいる友達が私に電話した。電話をとってもだれも話さないし、何か怖い声がした。すごく困って切ってしまった。その後もう一回電話があった。同じようだったので、私はワイヤーを抜いたのだけど、またピーピー鳴っていた。そのときはとても怖かったけど、日本から帰った今は、何か怖いことがあったら一回落ち着いて見てみようかな感じになって、怖いという言葉がかえって好きになった。
 ほかにもいろいろな好きな日本語の言葉があるが、上に書いた三つの言葉が中でも大好きだ。


うち
アップー・G・B
 辞書は「うち(home)」を「ずっと住んでいるところ」とていぎします。でも、わたしたちにとって、うちはそれだけですか。それがうちの本当のいみですか。
 生まれて45日で、父母と兄と私はサウジアラビアのダマムへ行きました。私は人生の3分の1をそこですごしました。そこでようちえんに入りました。そのとき、私にとってダマムは私のうちでした。
 ダマムに6年いたあとで、私たちはインドに帰りました。バンガロールがわたしの次のうちになりました。
 生まれてから7年生のときまで、私は毎年かぞくと、父の生まれた町、ケララのムヴァトゥプラへ行きました。小さなこどもだった私には、その旅行はほかの旅行と同じで、特別なものではありませんでした。そこで私たちはおじや祖母とすごしました。いとことあそびました。都会からきたので、そこは特別な場所でした。どこを見ても緑です。いちばんすばらしいのは川でした。よくそこで泳ぎました。川の水は、何かすごい感じでした。それから、お寺に入ったときのおだやかなかんかく。でも、そのあと2年間私たちはそこへ行いきませんでした。
 10年生のとき、私たちはまたムヴァトゥプラへ行きました。私はあまりよく覚えていませんでした。列車にのっているとき、不安なきもちでした。その気持ちの理由がわかりませんでした。ムヴァトゥプラに着いたら、昔の記憶がたくさんもどって来ました。私はほほえみました。そこには、私のうちがわに暖かく感じられるものがありました。その時、私はその感覚のいみがわかりませんでした。2年の後でも、町はあまり変わっていませんでした。いとこたちはちょっと大きくなっていました。ポーチのグヴァの木も大きくなって、町はちょっと発展していました。父が私を連れてうずらの卵を買いに行っていたみせは、かわっていませんでした。私はその間ずっと、よくわからないかんかくを感じていました。それが何なのか、わかりませんでした。それについて考えましたが、うまくいきませんでした。それで、それをこころのべつのところにしまっておくことにしました。残りの時間を楽しみました。停電の時の、ほたる。緑のあかりが周りに浮かんでいる。それをとららえて、びんにいれます。すこしして、はなしてやります。そして、すべての旅行とおなじく、私たちはバンガロールにかえりました。
 帰るとき、私はもういちどあの感覚について考えました。それは、おもしろくて、すばらしいものでした。それが何かしりたいとおもいました。そのとき、私はこたえにいたりました。それは「うち」です。私は「うち」にいました。ケララは私の「うち」です。
 私は、「うち」とは場所ではなくて、感覚だとわかりました。じぶんのうちがわに、うけいれられているという感じをかんじるときです。「うち」は、せんざいいしきが私たちに「おかえりなさい」というときです。

(この2つはエッセイコンテストに応募した作文です。おもしろいと思いましたが、選外でした。入賞すれば、賞品がもらえます。入賞しなくてもおもしろいもののために、この「AGP日本語通信」があります。)


インドのゲーム チャウカ・バーラ(chowka bara)
アラティ・ゴパラクリシュナ

 チャウカ・バーラは右のようなボードで遊ぶゲームで、2人から4人が遊べる。図にあるように、5×5のマスを描いて、それぞれが4つのコマを使って行なう。
いちばん外側にある×印のマスからゲームを始める。まず、各プレーヤーがひとつの×印のマスを自分の「家」と考えて、そこに自分のすべてのコマを置く。ダイスとして二枚貝の貝がらをつ使い、おもてかうらかで1か0に数える。プレーヤーは出た数によってひとつのコマを図のように反時計回りに動かす。内側に入ったら時計回りになる。
 各プレーヤーが順番に貝がらを投げる。自分の「家」から始め、「家」の左隣のマスから内側に入る。ターゲットは真ん中のマスである。
 ゲームのルールとしては、貝がらで4か8を出した人は、もう1回投げることができる。2回の合計点でコマを動かす。×印のないマスに2つの別のプレーヤーのコマを置くことはできない。そうなったら、はじめに置いた人のコマが死んだと見なされ、そのコマを「家」にもどす。他の人のコマを殺していないかぎり、内側に入ることはできない。順番にやっていき、はじめにすべてのコマを真ん中のマスにもっていった人が勝つ。


池上 嘉彦(いけがみ よしひこ)先生の「認知言語学」講義
 私は大学で3月12日にあった池上嘉彦教授のこうぎに出席しました。東京からいらっしゃいました。池上先生は、なにかを話すときの人のいろいろな表現のしかたを説明しました。こうぎはとてもおもしろくて、日本の文化とか、生活とか、言語とかがよくわかりました。特に日本語で話すときにやくにたちます。こうぎは英語だったから、わかりやすかったです。でも、私はまだ4級レベルですから、それを日本語で書くのは難しいですが、頑張ります。
 こうぎのトピックは、Subject(主体)とObject(客体)を比べて、なにか対比するポイントを見つけるやりかたを説明することです。それには、いろいろな状況を説明して、主体と客体の使いわけはどうして必要かを言われました。いろいろな表現を説明するとき、たくさんの例をあげて、いろいろな国の学者の考え方を教えてくれました。
 池上先生によると、
①さいしょのポイントは、a.主体や客体に身をおいて状況を説明するとき、文法や言葉を使います。b.主体と客体を対比します。
②人は同じ状況について話すときも、表現が違うことがあります。
③Subjective Construal(主観的把握)とObjective Construal(客観的把握)
主体が主であるとして状況を説明することと、客体が主であるとすること。
 たとえば、日本語の「ここはどこですか」と英語の"Where am I?"("Where is he?"と同じ)
④Subject-Object Merger(主客合一)
これは、状況の中にいるようにそうぞうして、主体と客体に身をおいているんです。これが日本人のたいどだと思うといわれました。
 たとえば、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(英語の訳:"The train came out of the tunnel into the snow country.")
 Hindsによると、アメリカ人は理解させるのは話すひとのせきにんだと思います。日本人は聞く人のせきにんだとおもっています。りょうほうともせきにんがあるとおもってわかりやすく話をするといいと言われました。
(M・K・ラクシュミー)


カンナダ語クラス参観の池上先生を囲んで その右隣リーラ先生

今月のカンナダ語
Niivu elli idhiiri? Shivaaji nagaralli idhiiraa? (ニーヴ・エッリ・イディリ?:あなた・どこに・いる? シワジ・ナガラッリ・イディラ?:シワジ・ナガルに・いるか?)
Howdhu. Naanu Shivaaji nagaralli idhiini. (ハウドゥ:はい。ナーヌ・シワジ・ナガラッリ・イディニ:私・シワジ・ナガルに・いる)
Avaru roomalli idhaaray. Avara bekku saha alli idhey. (アワル・ルーマッリ・イダレ:彼・部屋に・いる。アワラ・ベック・サハ・アッリ・イデ:彼の・ねこ・も・そこに・ある)
Alli obbaru / ibbaru / muuru jana idhaaray.
 (アッリ・オッバル/イッバル/ムール・ジャナ・イダレ:そこに・ひとり/ふたり/3・人・いる)
Illi ondhu / eradu / muuru idhey.
 (イッリ・オンドゥ/エラドゥ/ムール・イデ:ここに・1/2/3・ある)
Uuta maadoonwa? (ウータ・マードーンワ?:食事・しようか?)
Maadooona. (マードーナ:しよう)
Nanna jothey banni. (ナンナ・ジョテ・バンニ:私の・いっしょに・来い)
Naanu alligay hoogalla. Avaru saha hoogalla. (ナーヌ・アッリゲ・ホーガッラ:わたし・そこへ・行かない。アワル・サハ・ホーガッラ:彼・も・行かない)
Nivu ii kelasa maadthiira athawa maadallawa? (ニーヴ・イー・ケラサ・マーディラ・アタワ・マーダッラワ:あなた・この・仕事・するか・または・しないか?)
Maadalla. (マーダッラ:しない)


弁才天学芸祭 Saraswathi Academic Festival


4月28日(土)14:00
日印楽器演奏(ヴィーナ、尺八)
短歌・俳句奉納
研究発表「南インドと日本」(MA課程生)
 だるま・カレー・桟留織・タミル語・ヴィシュヴェシュワラヤについて
講演(題目未定)
作文コンクール結果発表・表彰
インドの学問の神様サラスヴァティは日本に入って弁才天になりました。サラスヴァティ/弁才天の加護を願い、日印関係の発展も祈り、学芸の発表を行ないます。ぜひおいでください。

・作文コンクール「インドと日本の絆」
 日印修交60周年を記念して、作文コンクールを行ないます(1500字程度)。
 全国規模の募集では年齢制限があって、学習者の年齢の高いバンガロールはいつも苦労します。バンガロール規模の募集では、年齢制限はありません。あるもんですか。

・奉納短歌・俳句・川柳募集!
 弁才天/サラスヴァティに上達を祈願して、短歌・俳句を奉納しませんか。日本人の半分は詩人(しかも、文語をつかう「古典詩人」)だということを、インド人に見せてあげましょう。








KOYOミートアップ(3月18日)で
日本人学生と生まれて初めて「あっち向いてホイ!」をやって、注文どおり負けるインド人。
楽しい会でした。

2012年3月1日木曜日

AGP 3月号


AGP日本語通信 第3号 (2012年3月号)


インドと日本のあいだのちがい
シャラダ・ライチュル

 みなさん、こんにちは! わたしはシャラダです。わたしのえらんだトピックは「インドと日本のあいだのちがい」についてです。
 みなさんがごぞんじのとおり、気候や文化だけでなく、生活や環境においてもさまざまにちがう点がありますね。その中で、わたしは日本人とインド人の寿命のちがい、つまりどれだけ長く生きているかのちがいについてお話ししたいと思います。
 2010年の調査結果によると、日本人の平均寿命は約82歳、世界第1位です。いっぽうで、インド人の平均寿命は 63.7歳で、世界第146位です。
 この結果から、わたしたちと日本人のあいだに大きなちがいがあることがわかります。どうしてこんなに大きなギャップがあるのか、わたしたちと何がちがうのかについて考えたら、ふたつのポイントが大きな理由だとわたしは思いました。
 ひとつめは、食生活についてです。日本の食べものはプロテインやビタミンを多くふくみます。インドの食べものもこのふたつを多くふくんでいますから、問題は材料ではありません。日本とちがって、わたしたちの料理はたくさんの油やギー、砂糖など、脂肪の多いものをつかいますね。だから、料理するときそれらの脂肪の多いものをたくさんつかわないようにすることが大切だと思います。そして、食べる量のコントロールも必要だと思います。おなかいっぱい食べるのではなく、「腹八分目」だけ食べるという日本人の考えかたをまねしてみたらどうでしょうか。
 ふたつめは、運動習慣についてです。ここバンガロールではさいきんたくさんジムができて、毎日エクササイズにかよっている人もいるようですが、多くの人はなかなか運動する時間がないようです。でも、日本人も同じですよね。よくはたらく人たちですから、条件はわたしたちと同じだと思います。どうやって日本人は運動習慣をつくっているの?と考えたとき、わたしが日本にいたとき あった人、見たことについて思い出しました。
 わたしが友だちになったひとりのおばあさんは60歳で、たいへん元気な人でした。かのじょは主婦でした。毎日家事がぜんぶおわったあとの時間、水泳とかエアロビクスとかいろいろな運動をして、ほんとうに健康的な毎日をすごしていました。60歳でそんな生活、みなさんは想像できますか? この年齢の多くのインド人は、いつも家の中でテレビを見たり、ごはんのあと昼寝をしたり、時間があってもほとんど体を動かすことをしません。その結果、病気にもなりやすくなります。健康でありたいなら、毎日すこしでも体を動かす習慣をつくるといいと思います。
 そしてもうひとつ、日本でわたしが気づいた点をお話ししたいと思います。多くの日本人は、ちかくのスーパーや会社、駅に行くときに自転車にのっていました。車をつかう人も多いけど、わたしの経験では自転車をつかう人が多かったと思います。これなら運動のために特別な時間をつくらなくてもいいし、ある時間を健康的につかうかしこい方法だと思いました。さらに、これにより大気汚染も少なくなるし、ガソリンのお金も節約できますね。これにくらべて、インド人の多くの人は、学校を出たあとぜんぜん自転車にのらなくなって、オートバイとかオートにのるから、体をまったく動かさなくなって、わざわざ運動をする時間をつくらなければならない状況になっています。時間をじょうずに利用して運動する方法を考えることがポイントだと思います。
 わたしの経験の最後のポイントとしては、わたしは日本でレストランのメニューにカロリーが表示されているのを見ました。これは、お客さまが食べものをえらぶとき、健康を意識してどれがいいかを自分で考えて注文することができるシステムです。わたしたち多くのインド人は今まであまり料理のカロリーを考えたことがないと思うし、知らないと思います。これには食品会社のサポート、政府のサポートが必要だと思います。
 日本のモールやスーパーで売っている食べものには、カロリーが表示されていることが多いです。そして、低脂肪や無脂肪の製品でも味がわるくならないように、脂肪分だけのぞいているすばらしい商品が開発されています。これならみんなもそれを買って自分で健康をまもろうという気になりますよね。さいきんインドでも少しずつそのような食べものを売りはじめましたけど、まだまだ一般市民にひろく知られてなくて、買われていないと思います。
 最後に話をまとめると-
 ひとつめとして、自助努力。わたしたちはあいている時間をむだにしないで、健康のためにつかう方法を考えること、毎日の生活の中で、ちかくに行くときは車やオートバイで移動するのではなく、自転車とか歩いていく機会をつくることだと思います。
 そしてふたつめには、国や政府からのサポートが必要だと思うんです。みんなの健康意識を高めるために、カロリーが少なくて味はまえと同じ商品を開発するよう食品会社をサポートしたり、健康キャンペーンをおこなって、みんなにカロリーや健康の情報を知らせる機会をつくってほしいです。それによって、インド人みんなが自分の健康にもっと気をつけるようになると思います。
 自助努力と国からのサポートにより、わたしたちインド人も日本人のようにもっと健康的になり、長い寿命がもてたなら、今よりもっともっと長く家族といっしょにしあわせな時間をすごすことができるんです。きょうのわたしの発表がすこしでもみなさんのお役に立てたなら、わたしはたいへんしあわせです。みなさん、いっしょに長生きしましょう!

(先のバンガロール弁論大会でのスピーチです。おもしろかったので、会場に来なかった人にも読んでもらいたいと思い、再録しました。)


日本についてのイメージ
アラティ・ゴパラクリシュナ

 私は日本に行く前に日本語を勉強していて、ビデオもいくつか見ていたので。日本のことを知っていると思っていましたが、日本に行ってから、全然理解していないことがいっぱいあることに気がつきました。
 日本に行ったのは三月の終わりごろで、あまり寒くないと聞いていたのでセーターを持っていきませんでしたが、飛行機を出ると気温が13度で、バンガロールのいちばん寒いときと同じだったので、びっくりして、日本人と気温についての考え方が違うということがわかりました。
 次の日、会社の部長とその奥さんといっしょに奈良公園の見物に行ったとき、道や公園の中がとてもきれいだったので、どうやってそんなにきれいにしているのだろうと考えていたところ、部長がたばこをすいたくなって、奥さんに「灰皿を持っているか」と聞いたので、灰も道に捨てないほど人々がせいけつのことを考えているからできるのだと納得しました。


どうしてインド人は時間を守らないのか
ショバナ・クリシュナムルティ

 「時間に正確という徳はつまらない」と述べたイヴリン・ウォー(Evelyn Waugh)の意見に、時間に遅れるインド人は間違いなく賛成する。学生時代学校の時間や試験時間を守っていたインド人は、なぜか大人になるとそれを守らなくなる。占いを信じて、結婚、出生、入院までいい時間を選ぶ人々も、ふだんは時間に正確じゃない。その理由はなにか考えてみた。
 自分は偉くて、忙しい生活をしていることを他の人々に知らせるのが目的ではないかと思われる。日本、米国、英国など工業が発展した国々では、一秒の無駄でも利益にならないので時間をしっかり守っているが、発展途上のインドはそれほど工業の影響はない。
 生まれた時からずっと人に待たされて慣れてしまったので、べつに悪くは思わない性格になってしまったインド人は、それに恥ずかしさを感じないというのが実情だろう。何をするにも他の人やものに頼る必要があって、政治をはじめ交通、交番など、どこでも時間が守られていない。それで、残念ながらインド人は時間に遅れることを何とも感じていないのだと思う。


池上 嘉彦(いけがみ よしひこ)氏(東京大学名誉教授)講演
「『する』と『なる』の言語学」(日本語)
  3月8日(木)10-12時
「認知言語学」(英語)
  3月12日(月)14-16時
「認知言語学」(日本語)
  3月13日(月)10-12時
場所:バンガロール大学(シティキャンパス)世界言語センター2階 日本語教室
言語学に興味のある方はぜひどうぞ。聴講者歓迎です。



全インド日本語弁論大会
 2月25日(土)にデリーので行なわれた全インド日本語弁論大会に、バンガロール地区からジュニアの部1名、シニアの部3名が参加しました。結果は次のとおりです。
ジュニアの部 3位 レヴァティ「井戸の中からちょっと出てきて」
シニアの部  3位 ハルシャダ「ありがとう」
       特別賞 スミトラ 「夢の子供」
 また、同じ日に表彰が行なわれたエッセイコンテストで、レヴァティさん(「思い出の旅」)がジュニアの部2位になりました。


                         こんなにもらっちゃった
(レヴァティさん)
古本リサイクル
 ジャパンハッバの古本市は盛況のうちに終わりました。
 BNKでは、ひきつづきみなさまのご不要になった日本語の本を集め、必要とされる日本人や日本語学習者の方々に(非常に安い値段で)お渡しする中継をしたいと考えています。
 ご帰国などで本を処分される方は、大学の日本語教室までもってきていただけませんか。そして本をさがしている方は、大学をのぞいてみてください。


今月のカンナダ語
Gotthaa? (<gotthidheyaa) (ゴッタ?:しっているか?)
Gotthu. (<gotthidhey) (ゴットゥ:しっている)
Gotthilla. (ゴッティラ:しらない)
Roomalli mancha idhey. (ルーマッリ・マンチャ・イデ:部屋に・ベッド・ある)
Manchadha maylay bekku idhey. (マンチャダ・メレ・ベック・イデ:ベッドの・上に・ねこ・ある)
Manchadha kelagay eenadhu idhey yaa?
 (マンチャダ・ケラゲ・エーナドゥ・イデ・ヤー?:ベッドの・下に・なにか・ある・か?)
Illa. Eenu illa. (イッラ.エーヌ・イッラ:いいえ。なに・ない)
Nanna hatthila computer idhey.
 (ナンナ・ハッティラ・コンピューター・イデ:私の・もとに[近くに]・コンピューター・ある[=わたしはコンピューターをもっている])
Avara manay hatthira bank idhey.
 (アワラ・マネ・ハッティラ・バンク・イデ:あの人の・家・近くに・銀行・ある)
Nanagay camera bayku. / baydwaa. 
(ナナゲ・カメラ・ベク/ベドワー:わたしに・カメラ・ほしい/ほしくない)
Nimagay camera baykaa? (ニマゲ・カメラ・ベカ?:あなたに・カメラ・ほしいか?)
Avarigay cake ishta. (アワリゲ・ケイク・イシュタ:あの人に・ケーキ・好き)
(Naanu) dhinaa dosay thinnthini. 
(ナーヌ・ディナー・ドーセ・ティンティニ:わたしは・毎日・ドーサ・食べる)
(Naanu) Mumbaigay hoogthini.
(ナーヌ・ムンバイゲ・ホーグティニ:わたしは・ムンバイへ・行く)



訃報 吉岡信子先生

 日本人補習校の教師で、バンガロール大学の日本語MAコースでも非常勤講師として教えていただいていた吉岡信子先生が、2月19日に急死されました。突然のことで、みな大きな驚きと悲しみにつつまれました。
 追悼の声を載せます。合掌。



書道クラスで


 先生…極楽浄土から私の声が聞こえるでしょうか…
「今年もジャパンハッバをやりましょう」とまず言ったのは先生でしょう。2012年2月19日という日付けを決めたのも先生でしょう。でもその日付けは、ジャパンハッバだけでなく、先生に「さようなら」という日になりました…
 ジャパンハッバのためにあんなに努力してくださった先生は、その努力の結実を見ることもできなくて、とても残念です。
 書道の授業で吉岡先生に習ったことはたくさんありますね。日本書道の特徴や躾の大切さなどを教えていただいただけでなく、我々に適当な書道の道具まで日本から買ってきていただきました。学生一人ひとりに自分で彫ってくださったはんこを大切に持っています。
 MAコースでは漢字から仮名ができたこと、日本の文字の正しい書き方、書体、寺小屋、仏教、禅、極楽浄土のことなどについて熱心に教えていただきました。
 私たちの大好きなやまとなでしこの吉岡先生、さようなら…さようなら…
 (スシーラ・メノン)
 吉岡先生と知り合った期間はたった5ヵ月のことで、先生-生徒の関係でしたが、とても仲良くなって、何でも気楽に聞いて教えていただくことができたので、とても感謝しています。その関係が長く続けられると思っていましたが、急にできなくなったのが、とても悲しくてたまらないことです。先生に文字のことだけではなく日本の子供の姿勢や躾についてもいろいろ教えていただきました。「日本の書道をもっと広げたい」という先生の夢が叶うようにみんなで努力したいと思います。吉岡先生のご冥福をお祈りいたします。
             (アラティ・ゴパラクリシュナ)
 吉岡先生、謹んでご逝去を悼み、生前の温かいご指導に対し、あらためてお礼申し上げます。
 先生は書道の授業でとても丁寧で、私の手を取って教えて下さいましたことを一生忘れません。また、MAの授業でもいろいろとても楽しく教えて下さいました。
 先生のこれまでのお導きに心より感謝し、安らかに永遠の眠りにつかれる事をお祈りいたします。
(スマ・アガラ)
 吉岡先生をたった5ヶ月しか知らなかったんですが、そんな短い時期に私に大きな影響を与えました。文字の書き方、書道だけではなく姿勢,躾までいろいろ教えていただき、本当にありがたいと思います。もう先生に会えない、なにも教えてもらえないということが悲しくてたまらない。
May her soul rest in peace.                   (ショバナ・クリシュナムルティ)