2012年2月9日木曜日

AGP 2月号

 AGP日本語通信 第2号 (2012年2月号)


あれ、このあいだ1月号が出たばかりなのに、もう2月号?
そうです。インド人は言いたいことがたくさんあるんです。かたむける耳をもっていてくれさえすれば、いくらでも。


新宿(しんじゅく)駅で
スマ・アガラ

 13年前に主人の仕事で日本へ行く機会がありました。そのころ主人の会社では仕事で行くのはアメリカが普通でしたので、日本へ行けることをとても楽しみにしていました。
 さて、いよいよ成田(なりた)空港に着きました。飛行場では道順が英語でも書いてありましたし、入国検査官も英語を話したので、問題はありませんでした。目的地の相模大野(さがみおおの)へ行くには、新宿まで成田エクスプレスで行って、新宿で小田急(おだきゅう)線に乗り換えなくてはなりませんでした。
 新宿で降りてみると、小田急線の道順は英語では書いてありません。そこで通行人に「Excuse me」と言っても、ちょっとこちらを見て、おじぎをするだけで、行ってしまいます。主人は近くの喫茶店の前に荷物を置き、私にそこで見ているように言って、小田急線の改札口を探しに行きました。ところが、いつまで待っても戻って来ません。1時間半経ちました。私は日本円が1円もなく、知人の連絡先もありません。警察に駆け込むことも考えましたが、そんなことしたら不法入国者と言われかねません。なにしろ、私はパスポートさえ持っていなかったのですから。私は本当に困ってしまいました。この異国の地で見放されてしまったのではないかとさえ思いました。私はとても心細くなり、いつの間にか目から涙があふれて来ました。
 一方、主人は何度も人に道順を聞いて、小田急線の改札口へ行き、切符を2枚買ったそうです。でも今度は私が待っている所へ戻って来る道がわからなくなり、困っていたのでした。主人は道を探しているうちに入ってはいけない場所に入ってしまい、警官に捕まったそうです。その警官は主人の言っていることがわからず、通訳に電話し、通訳の人が事情を説明して、やっと主人は行かせてもらったのでした。
 それから、主人はあたりを見回して、大学生らしそうな人に成田エクスプレスの出口まで連れて行ってほしいと頼んだそうです。その人が主人を連れてきてくれました。私たちは心の底から感謝し、インドのおみやげをあげました。
 日本語がわからないためにたいへんな目にあった私は、家の近くの公民館の日本語クラスで勉強を始めました。日本語が少し話せるようになってからは、観光に行ったときでも、通行人に片言の日本語で道を聞けばだれでも教えてくれたので、まったく問題はありませんでした。日本はとてもいいところで、人々も親切です。日本人の親切さに感銘を受けて、日本語の勉強を続けています。


サンクランティの祭り115日)

 ハッピー・ポンガル!
 今回この挨拶(あいさつ)をしたとき、ほかに気いたこともありました。れはインドのお祭りの祭り方です。お祭りが天体観測に基づいているということです。ポンガルまたはサンランテ、呼び名それぞれの州いろいろですが、目的としてはひとつです太陽を拝んで、作物をおそなえして、続いて今年もよろしくお願いするのです。
 インドはそもそも農業が基本の国なのでお祭りはほとんど農業関係の活動によります。天文学的には、この時期は太陽がに北回帰線の方に動きます。インドは北半球にありますから太陽の北への動きは熱帯熱と日を持ってモンスーン雨をもたらします。十分な日当たりで雨がたっぷりあれば作物がよく育ちます。
 この日(ポンガルまたはサンランテから農民たちが忙しくなるので、インドは1月から6月まで大きいお祭りがありませんおもしろい習慣と思いましたので皆様にお知らせしたいと思いました。
(スリーヴィディヤ)
 
          

        コーヨーKOYO日本語座談グループ 

コーヨーグループは、「日本語座談会」を毎月1回土曜日の夕方、バンガロール大学世界言語センター(マイソールバンク・サークルの近くにあるシティー・キャンパス)で開いております。
 日本語学習者、日本語教師、日本人等、日本と日本語に関心を持つ者が自由に集まり、日本語で話し合う会です。ジャパンハッバの主催者の一員としても活躍しております。
 いつでもお気軽にお越しください。いろいろおしゃべりしたり、日本の歌を歌ったり、ゲームをしたりして楽しみましょう。
 contact.koyo@gmail.com あてにメールを1本お送りください。月例会を始め、日本関連の行事、ニュース、就職案内等をお知らせします。
 では、お待ち申し上げております。


ジャパン・ハッバ
Japan Habba 2012


19 Feb. 2012 (Sun)
Jnana Jyothi Auditorium Central College Campus
Bangalore University
Palace Road, Bangalore.

 ジャパン・ハッバでKOYOとバンガロール大学はカンナダ民謡とタミル民謡を日本語で歌います。カンナダ民謡 "Kuladalli keelyavudoはちょっとむずかしいかもしれませんが、タミル民謡 "Thottukada oratthileはかんたんなので、いっしょに歌ってみませんか。こんな歌詞です。

 イヤリングうるみせ それひとつ それふたつ それみっつ いくらだい
 ちょい ちょい ちょい と
 もし いうてくれて、つつんでくれて、はろうてくれりゃ こようかね
 もし いうてくれて、つつんでくれて、はろうてくれりゃ こようかね
(以下:「うでわを売る店~」「お花を売る店~」「ネックレス売る店~」と続く)

 Yey thottukada oratthile thodu onnaga thodu rendangae thodu muunanga vanga sonnen
 Chink cha chink cha chink cha chink
 Atha vaari vittaka varavalachaka maditherinchaka vaaren ponga
 Atha vaari vittaka varavalachaka maditherinchaka vaaren ponga


河東 哲夫(かわとう あきお)(元駐ウズベキスタン大使)講演
 テーマ:「日本、その虚像と実像――政治・経済・文化 
 日時:214日(火)10-12
 場所:バンガロール大学(シティキャンパス)世界言語センター2階 日本語教室
 外交官にしてソ連崩壊を描いた小説「遙かなる大地」の著者でもあります。聴講者歓迎です。


東京大学インド事務所開所記念シンポジウム
Indo-Japanese Networking Symposium
"The Future of Indo-Japan Acadmic Collaboration" & "Studying in Japan"
 Date: Monday, February 27, 2012 14:00-18:30
 Venue: Vivanta by Taj M. G. Road Trinity Hall (1st Floor)
 Tel: 080 4150 8509


南インド日本語弁論大会
 122日(日)にチェンナイのABK-AOTSで行なわれた南インド日本語弁論大会に、バンガロール地区からジュニアの部2名、シニアの部4名が参加しました。結果は次のとおりです。
ジュニアの部 1位 レヴァティ「井戸の中からちょっと出てきて」
シニアの部  1位 スミトラ 「夢の子供」
       2位 ハルシャダ「ありがとう」
       3位 アジンキャ「臓器提供」


今月のカンナダ語
Namaskara. (ナマスカラ:こんにちは/こんばんは/おはよう)
Chennagidhiira? (チェンナギディラ?:元気ですか)
Chennagidhini (チェンナギディニ:元気です)
Naanu Tanaka / teacher. (ナーヌ・タナカ/ティーチャー:わたし・田中/教師)
Avaru yaaru? (アヴァル・ヤール?:あの人・だれ? ivaru: この人)
Idhu eenu? (イドゥ・エーヌ?:これ・何? adhu: あれ)
Niivu engineer aa? (ニーヴ・エンジニール・アー?:あなた・エンジニア・か?)
Howdhu / Illa. (ハウドゥ/イッラ:はい/いいえ)
Naanu Suzuki alla. (ナーヌ・スズキ・アッラ:わたし・鈴木・じゃない)
Idhu kodi. (イドゥ・コディ:これ・ください)
Eshtaithu? (エシュタイトゥ:いくら?)
Iiga gantay eshtu? (イーガ・ガンテ・エシュトゥ?:いま・時・いくつ[何時]?)
Nimma hesaru eenu? (ニンマ・ヘサル・エーヌ:あなたの・名前・何?)
Tanaka awaru alli idharey.(タナカ・アワル・アッリ・イダレ:田中・さん・あそこ/そこに・いる illiここに)
Hotel elli idhey? (ホテル・エッリ・イデ?:ホテル・どこに・ある?)
M.G. Roadalli idehey. MGローダッリ・イデ:MGロードに・ある)


2012年2月8日水曜日

AGP 1月号


AGP日本語通信 第1号 (2012年1月号)


バンガロールに住む日本人とバンガロールで日本語を勉強するインド人をつなぐため、いろいろな催しが行なわれていますが、新興の日本語MAコースも、「日本語を学ぶインド人学習者の生活と意見」を日本人の方々に紹介するメールマガジンを始めます。
日本語・日本文化を接点に、バンガロールの日印交際が進む一助となることを願っています。(W)


私が子供のとき住んでいた家
スシーラ・メノン

 私が7歳のとき、父が新しい家を建てた。それまでは父の会社が用意してくれた社宅にすんでいたが、新しい家ができ、すぐそこに引っ越ししたそうだ。社宅のことはぜんぜん覚えていないが、7歳からずっと結婚するまですんでいた、父がとても熱心に作ったその家はよく覚えている。
 バンガロールの中心から10キロくらい離れたところにある小さい美しい一戸建て。外面の色は薄い緑。屋根のところに菱と丸のデザイン。外から屋上まで行くための階段。階段の手すりにも菱のデザイン。それが長い間、私のスイートホームだった。
 2LDKのその家の部屋は狭かったが、台所もバスも広かった。家族の5人(姉が2人)で一緒に、赤くてぴかぴかな床に座っておしゃべりしながら夕食を食べていたのをよく覚えている。夕食が終わっても話は全然終わらないので後の話は居間でしていた。休みの 夜、家の広い屋上で姉妹三人で星を数えたりゲームをしたり遊んでいたのが印象に残っている。
 車ほとんどなかったので、家の前の土の道が子供たちの遊び場だった。近所の友達とホップスコーチ(石けり遊び)、飛び級、ラゴーリなどをして楽しんでいた。初めて自転車に乗ったのもその道だった。
 私の思い出がたくさんつまっているその家はまだ残っている。ただ家主が違う。外からの様子も変わってしまった。でも私の頭に描かれたその家はいつまでもそのまま残っている。


川柳  
 三十歳 もう売れ残り 結婚だ
 転職は 天職のため するはずだ
              ダシュミー


「私と、ギタさんと、ミナさんと」
アムルタ 
私がどんなに練習しても、
かんじはうまくかけないが、
書けるギタさんは、わたしのように、
りょうりを上手にはつくれない。

わたしが歌をうたっても、
きれいにうたえないけど、
上手なミナさんはわたしのように、
たくさんの歌をしらないよ。

ギタさんとミナさんとそれからわたし、
みんな違ってみんないい。


「わたしとサッチンとラーマン」
レバティ 
わたしがどんなにれんしゅうしても、
クリケットはちっともできないが、
できるサッチンはわたしのように、
日本語をじょうずには話せない。

わたしがうたをうたっても、
きれいなこえはでないけど、
じょうずなラーマンはわたしのように、
いろんなおどりはしらないよ。

サッチンとラーマンとそれからわたし、
みんなちがってみんないい。


カルナタカ州の誕生日(11月1日)

「蜜のように甘い、何千年もの歴史は、誇らしげにあなたがカンナディガ(カンナダ人)であると言う」

 1956年のこの日、南インドのすべてのカンナダ語を話す地域が合併して、カルナータカ州を形成しました。11月1日に新しいカルナータカ州が正式に生まれました。そしてこの日に誕生が祝われます。これは、一般にカルナータカRajyotsawa(「国の誕生」)、また共和国記念日と言われます。
 カルナータカ州成立の記念日は毎年祝われています。11月1日、カルナータカ州は楽しい気分につつまれます。この日は州政府の祝日です。

 カルナータカ州記念日の行列が進むとき、女神ブワネスワリ(Bhuvaneswari)は美しく飾られた車の上に載り、民族芸術家は彼らのさまざまな芸能を披露します。カンナダの旗があちこちで掲げられ、さまざまな劇、舞踊、古典音楽の芸術家たちによって祝われます。人々は伝統的な服を着ます。男性たちは黄色と赤のターバンをつけ、女性は赤と黄色のサリーをまといます。
 「国の誕生日」の祭日は、カルナータカのすべての地方で喜びをもって祝われます。この日州政府は、カルナータカ州の発展のため大きな貢献した人々にRajyotsawa賞を授与します。
 カンナダ語はカルナータカ州で主に話されています。カンナダ語はインドの主要なドラヴィダ(Dravidian)語のひとつで、世界で27番目に話されている言語です。カンナダ語を話すネイティブスピーカーはカンナディガと言われます。これはインドの公用語のひとつで、カルナータカ州の公用語です。

歴史
 1950年にインドは共和国となり、いろいろな州がその地域で話されている言語に基づいて形成されました。そして、以前王によって支配されていた南インドのさまざまな地域を含むマイソール州が誕生しました。
 そのあと1956年に、南インドのすべてのカンナダ語を話す地方はひとつに合併されました。新しい州は藩王国だったマイソールに因んで命名されましたが、マイソールという名前は北カルナータカと現在のハイデラバードのようないくつかの地域で受け入れられなくて、住民は名前の変更を求めました。
 結局、長い議論のあと、1973年11月1日にカンナダ語を話す人々の州はカルナータカ州と改名されました。その後、毎年11月1日がカンナダRajyotsawa(「建国」)またはカルナータカ記念日として祝われています。
 カンナダ語はインドのもっともよく知られているドラヴィダ語のひとつです。カンナダ語は、真正のドラヴィダ語であるタミル語と同じぐらい古いです。カンナダ語は、ほかのドラヴィダ語のタミル語、テルグ語、マラヤーラム語などと同じく、語彙や文法、文体の面でサンスクリット語から大きく影響を受けました。紀元前230年のアショーカ王の古い磨崖布告のひとつには、識別可能なカンナダ語が含まれています。

Proud to be a Kannadiga-

kannada_rajyOtsava

Karnataka. One state many worlds 

Patriotic Kannada Song - Jai Bharatha Jananiya Tanujathe! Jai he Karnataka Mate! 

beautiful melody song

Jog Falls - Karnataka 

banglore

(Koyo不定期報より。翻訳:スリレーカ)


BNKによる日本人のためのカンナダ語講座が1月9日から始まりました。
 日時:毎週月曜日10-12時
 場所:バンガロール大学 世界言語センター 2階
 受講料:6500ルピー+BNK入会金800ルピー/25回(50時間)
まだ受講できます。興味のある方は、Suma Agara (9945279077; suma_sanjay@yahoo.comまでご連絡下さい。日本語OKです。


バンガロール大学 世界言語センターを見つけるには

 左の地図のUniversity Law Collegeと書いてあるところにあります。Law College のひとつ北です。
 ふつうの人なら必ず見落とす右のような門標のある入口を入り、突き当たって左に進むと、きっと「こんなところに大学があるはずがない、道をまちがえてしまった」と思うでしょうが、ひるまずにさらに進むと、いちばん奥にボロい建物があります。それです。 
 「隠れ家」と思いなせば、趣きなくもない? そのかわり、駐車スペースには困りません。