2013年4月29日月曜日

AGP 第18号

AGP日本語通信 18号 (2013年5月号)


 33日から13日まで、バンガロールから10人の学生や先生がキズナ・プロジェクトで日本へ行きました。東日本大震災の被災地を訪れ、南会津でホームステイをしました。その感想です。


さすけね!!!
プリヤ・アマルナト

 みなさんの人生で、少なくとも一つの忘れられない経験があると思います。私にとって、その経験は日本に行く機会でした。先生から電話があって、「きずなプロジェクトで日本に行きたいですか」と聞かれたとき、私は幸福感をおさえることができませんでした。
 「きずな」は日本政府のイニシアチブです。2年前起こった大地震と津波で打ちのめされた日本は、今どう回復しているのか、それを他の国々に伝えるためのプロジェクトです。このプロジェクトに選ばれた私たち138人は、インドを33日に出発して、東京に4日に着きました。想像したより素晴らしい東京を目にして、家族についての心配も忘れてしまいました。疲れきっていた私たちが、立派なホテルで少し休もうと思ったら、日本人のコーディネーターに「非常口をご案内します、来てください」と言われて、12階から降りました。それは、私たちにとってこれからの10日間へのヒントでした。
 明治大学のノガミ・タツヤ先生の、地震によってもたらされた破損や、たいしんとめんしんのタイプのビルの建設についての講義に出席しました。勉強になりました。東京から福島の会津但馬(あいづたじま)町に特別な特急列車で行きました。東京の高いビルがなくなって、雪で覆(おお)われた山を見ました。南会津の町長さんは、「私たちの町は地震や津波に直接被害を受けなくても、苦しんでいます。理由は風評被害(ふうひょうひがい)です」と言いました。福島の原子力発電所は南会津から130キロのところにあって、放射能(ほうしゃのう)への恐怖はないということをほかの日本人や世界に信じさせるのは難しいことです。農業と観光に依存(いぞん)している南会津の町や村は大いに影響を受けました。農産物を販売できなくて、観光客がこなくて、生活は本当に苦しいです。それにもかかわらず、南会津の住人は福島の避難(ひなん)された人々の助けになりました。避難民の悲しい話を聞いた時、私たちのだれも涙を止めることができませんでした。この風評被害を静めるための南会津の対策について、農家や観光会社の人たちからたくさん教わりました。
 しかし、この10日間は勉強や講義ばかりではなく、遊ぶ機会もありました。友達と雪合戦(ゆきがっせん)をしたり、つるが城を見物したり、いちご農場でおいしいいちごを食べたり、買い物をしたり、新幹線に乗る夢をかなえたりして、今も信じられません。日本人といっしょにすごした時間は本当に忘れられないです。日本人の完璧(かんぺき)さや細部への気くばりに非常に感動しました。南会津は安全で、おいしい農産物には放射能がない、素晴らしいスキー場に恵まれたところだとみんなに伝えたいです。南会津のスローガン「さすけね(問題ない)」を心に感じて、これから進んでいきたいです。




















日本の旅
シュリーラミヤ・シュリーラム

 10日間の経験というよりも、夢の国の旅というのがちょうどぴったりだと思います。
 最初不安な感じが心の中にうずまいていました。
 向こうの生活はどうなのか、ベジタリアンの私にどんな食べ物が口に合うか、この絆プロジェクトは被災地まで行って被災者に会う旅と言われましたが、被災者に会うとき言葉が出なくなってしまわないか、というようないろいろな心配がありました。
 でも、出発したあとでは全部が夢のような経験でした。
 小学校の子供たちから聞いた自分のところをきれいにしておくことが大切だということから、初め大学の教授が地震について、放射能について教えてくれた新しいことまで、この旅は教育的でした。火事や地震の時どうやって自分の命を守るか、どうやって他の人を助けるかということについて学びました。被災者に会って、被害と現在の生活について聞きました。みなみあいずの町長に会って話をして、とても嬉しかったです。小学校の子供たちといっしょに遊んだり、文化交流をしたりして、みんなその子供たちがすぐ好きになりました。
 ホームステイがいちばん楽しかったです。日本の伝統的なうちに
1泊泊まって、そのうちの家族といっしょに時間を過ごして、日本の文化についてもっと学びました。うちのホームステイファミリーはとても優しくて、私たち4人はベジタリアンでしたが、私たちのためいろいろベジタリアン料理を作ってくれました。私が持って行ったインドの料理を和食といっしょに楽しく食べました。それは私にとってまったく忘れられない夕食になりました。
 言葉で説明できないほどの楽しい経験がたくさんありました。
 初めて雪を見て、雪の上を歩いたり遊んだりしたこと、伝統的な城(つるが城)へ行ってさむらいの生活についての博物館をみたこと、たくさんイチゴを食べたこと、新幹線に乗ったこと、おもちをついたこと、木で手づくりしたこと、古い江戸時代の村へ行ったことなど。
 帰ってから
1か月以上過ぎましたが、今もその10日間を思い出しています。今までの人生でいちばんいい経験をさせていただいて、いつまでも大切に覚えておきたいです。ありがとうございます。


 
<みなさん、キズナ・プロジェクトの研修旅行はどうでしたか?>
 聞かせてください、
1) 日本でいちばんおもしろかったこと
2) いちばん驚いたこと
3) いちばん困ったこと
4) これから初めて日本へ行く人へのアドバイス
5) そのほか

1) 火燵(こたつ)でした! 暖かくて、いい気もちだったので、はいってすぐに寝てしまいました()。そんなに快適でした!
2) いちばん驚いたのは交通の静かさでした。車のホーンの音は聞こえませんでした。一度も!
3) 困ったことですか…ないですね()。日本へ行く前、食べ物のこと心配していました。鳥肉しか食べられませんから。でも、日本で私が食べられる料理をいっぱい見つけましたから、心配することはありませんでした。
4) 日本へ行く前、行きたい場所のリストを作ったり、見たい場所の地図をネットからダウンロードしたり、地下鉄の地図もダウンロードしたほうがいいと思います。そのようにしたら、時間を無駄にすることがありません。それに道に迷いません。
5) ほかには、私のはじめての雪の経験です。福島の南会津へ行きました。だいくらというスキーリソートに泊まりました。ここからの雪の景色は素晴らしかった!雪合戦をしたり、イチゴ狩りに行ったり、ホームステイとかしたりしました。すごく楽しかった。
 福島の安全について、風評被害の影響がわかりました。放射能の影響は原子炉から20キロメトルの周りだけです。福島のほかの場所は安全だとわかりました。私たちが行った南会津町の放射線のレベルは東京より低いです。
(イェシャシュリー・P)

1) 日本で初めてでいちばん楽しめたことは、雪が降ってるところを見ることです。それにカラオケもすごく楽しかったです。あとはいちごがりもとても楽しかったです。
2) いちばん驚いたことは、南あいづのホームステイでドアにロックがつけてなかったことでした。でもとても安全だったのです。
3) 私はベジタリアンで、卵もきのこも食べられません。もちろん肉と魚も食べられません。「この食品は私に食べられるか、食べられないか?」がいちばん困ったことでした。漢字もあまり読めないので、材料もよく読めなくて、日本人が近くにいなかったら、何かを食べてみたくても食べられませんでした。
4) これから初めて日本へいく人へのアドバイスは、つなみや地震などのことを怖がらないで、日本という素敵な国とその国の親切な人々と楽しんで来てください!
5) 私は日本へまた行きたいです。日本の文化についてもっともっとしりたいです。またいつか日本へいけますように。日本で出会えたホー厶ステイの家族とあいずの皆さんと私たちのスーパーバイザーにまたいつか会えますように。
(ニティヤ・KSD)

1) 日本の学校では生徒たちは学校の時間のあと掃除をする」と聞いたことがありましたが、生徒はトイレとホールなども自分で掃除していたことがおもしろくて驚いたことでした。
2) 日本でいちばん面白かったことは, インドと違って、東京では歩いて会社へ行く人がいちばん多いです。一方、インドで私たちはオートバイとか車とかで通勤します。
3) 福島の南あいづは雪だらけのところでしたので、ホテルに帰った後どこにも行けないようになったので、ちょっとつまらなかったです。
4) 福島のほうの冬はインドよりもっと寒いですので、たくさん暖衣を持って行ってください。
(マニート・G)

 

1) 東京の道はとてもきれいでした。紙とかごみをすてても罰金はありません。でも、道はとてもきれいです!
3) 地下鉄にひとりでのるのはたいへんでした。切符を買うのもむずかしかった。
4) 日本は高いですが、あまり高くない場所もありますから、日本人に聞けばいい。たとえば、買いものをするときとか、食べものを買うとき。
 東京には英語のサインがありますが、ほかの町にはたぶんありません。どこかへひとりで行くときは、行き先を日本語で書いてもっていたほうがいい。日本人は英語がわからなくてもいつもたすけてくれます。だから行き先は日本語で書いたほうがいいと言われました。
5) ウォシュレットはとてもおもしろかったです。日本人はテクノロジーで世界でいちばん進んでいると思います。
(アンジャリ・K)
  

<漢字能力検定試験実施!>

正規の漢字検定がバンガロールで受けられます

日時: 2013630日(日) 900
場所: Bangalore Education Society School, 4th Main, Malleswaram., Phone: 080 2331 1770.
申し込みしめきり:  2013524日(金)
申し込み方法: 申込書に必要事項を記入し、BNK事務所で申し込みます(申込書はBNK事務所にもあります)。 受付時間: 月-土 11:0016:00
受験料は、所定の金額をBangalore Nihongo KyoshikaiあてのDD(Demand Draft)でお支払いください。
 Bangalore Nihongo Kyoshikai (BNK)
  70/8, Mekri Buildng, 2nd Floor, Lalbagh Road, Bangalore-560027
お問い合わせメールID: kanken.bnk@gmail.com

結果は約40日後にわかります。
合格者には日本漢字能力検定試験協会から合格証がもらえます。

対象漢字数
試験時間
満点
合格ライン
受験料
10(小学1)
 80
40
150
80
Rs.850 /-
 9(小学2)
240
40
150
80
Rs.850 /-
 8(小学3
440
40
150
80
Rs.850 /-
 7(小学4)
640
60
200
70
Rs. 1500/-
 6(小学5)
825
60
200
70
Rs. 1500/-
 5(小学6)
1006
60
200
70
Rs. 1500/-
 4(中学在学)
1322
60
200
70
Rs.1800/-
 3(中学卒業)
1607
60
200
70
Rs.1800/-
 2(高校在学)
1940
60
200
70
Rs.1800/-
 2(高校卒業・大学)
2136
60
200
80
Rs.3500/-

くわしくは http://www.kanken.or.jp/

インド人のみなさん、日本語を読んだり書いたりするためには漢字の知識が不可欠です。
あなたは漢字をどれだけほんとうに知っていますか?書けますか? 音読みと訓読みのふたつとも知っていますか?
なるほど、漢字はむずかしい。少しずつしかおぼえられない。でも、この漢字検定を受ければ、あなたの漢字力を少しずつアップさせることができて、日本の漢字能力検定協会が合格証書がそれを証明してくれます。
漢字をこれだけ知っていれば、新聞の漢字がこれだけ読めます。

 100
40.2 %
 200
56.1 %
 500
79.4 %
1000
93.9 %
1500
98.4 %
2000
99.6 %


5級(1000字)なら、かなり日本語が読めることがわかります。8級(440字)でも8割近く読めます。
100字、200字、300字と、少しずつ漢字の力をつけていきましょう。

日本人のみなさん、インド人もたくさん漢字を勉強していますよ。インド人もすなる漢検といふものを、日本人もしてみては?
インド人社員を採用する方々、日本語を話すだけでなく、読み書きできる人材はどうですか? 5級ぐらいまでいけば、きっと戦力になると思います。
MA Japanese Course. Centre for Global Languages, Bangalore University.
P.K. Block, Palace Road, Bangalore - 560009, India

2013年4月7日日曜日

AGP 第17号


AGP日本語通信 17号 (2013年4月号)


鉄道の思い出
スマ・アガラ

インド国鉄は世界でもっとも大きい鉄道システムの一つであり、1日あたり約1800万人の乗客を輸送している。私はこのインドの鉄道を誇りに思う反面、とても恐ろしい思い出もある。
それは16年前のことだ。私は伯父夫婦と一緒にダサラ祭りの時、グジャラート州にあるバローダに住んでいた従兄の家を訪ねた。ダサラお祭りは歓喜(かんき){かんき}に満ちた祝典(しゅくてん){しゅくてんだったので、とても楽しかった。
お祭りが終わって、帰る日が近づいてきた時、とても寂しく感じた。午前11時出発の列車は2時間も遅れてやっと駅に着いた。バローダからバンガロールまで、電車で30時間ぐらいかかるので、伯父夫婦と私の切符はファーストクラス収容人数名の寝台車を予約していた。駅はとてもこんでいたが、乗車して、楽に座ることができた。5分後、1人の年配の女性が、同じ部屋の自分の席に座った。30分もたたないうちに、伯母と年配の女性が親しい友達のように話しはじめた。
私は伯父とトランプゲームをしようと準備していた時、隣の部屋から歌を歌っている若者の声が聞こえてきた。私は友達を作ろうと隣の部屋にのぞいてみると、8人の若い女性が歌ったり踊ったりして、楽しく時間を過ごしていた。私も加わった。数時間後、いろいろ話していたとき、伯父は手相占いがとても上手だということを若者に言ったら、みんな自分の手相占いをしてもらいたくてたまらなくなった。それで、小説を読んでいた伯父父を呼んだら、喜んでみんなにいろいろ話をして、手相占いをした。数時間のうちに皆とても親しくなった。
10時半ごろ、皆自分のところに戻って寝てしまった。寝心地{ねごこち}の悪いベッドだったので、私は、ぐっすり寝られなかった。翌朝4時ごろ伯父はベッドから起きて、部屋を出た。30分ぐらいたっても帰ってこなかったので、少し心配したが、たぶんお手洗いの前に長い列があるのだろうと思った。しかし、1時間ぐらいたっても帰って来なかったので、部屋を出て、あちこち行って見た。どのお手洗いの前にも長い列があったが、伯父はどこにもいない。部屋に帰って伯母を起こした。伯父は新聞を買いに降りて、乗車する前に列車が出発してしまったのではないか、と二人とも思った。夜明けに隣の部屋にいた若者も伯父が忽然と消えてしまったことを知った。皆で列車を探し回ったが、伯父の行方はわからなかった。次の駅で、駅長に報告して、バンガロールに住んでいる親族に連絡した。彼らにも伯父からぜんぜん連絡がなかったので驚いた。
2日目は隣の部屋の若者も心配してくれて、静かだった。何をしたらいいかわからないまま伯母と私はバンガロールに帰って来た。迎えにきた大勢の親族たちが駅で待っていた。
翌朝、テレビと新聞で行方不明のことを広告してもらった。2日間経っても、全然連絡がなかったので、まさかと思ったが念のために車中を調べてもらうと、トイレの中で脳梗塞(のうこうそく)の発作で倒れている伯父が見つかったのである。すぐ入院したが、2日後亡くなってしまった。
「乗客がいなくなった」という情報を受けた鉄道関係者は、なぜ車中を調べるという基本的なことをしなかったのだろうか。豪華でなくてもいいから、基本的なことの積み重ねができる信頼のおける鉄道になってほしいと思う。


鉄道の思い出
スシーラ・メノン

 クウウウウ… チクブクチクブクチクブク…
 うわあ、夏休みの思い出がする。
 幼いころ、毎夏休みに家族とケララにある母の田舎へ行っていた。学生の証明があれば、「ホーム・タウン」へ行くために切符の値段に割引があったので、2ヶ月前から、予約の準備、つまり予約申込書に学科長のサインをもらうなどを始めていた。試験が終わって、夏休みに入ると、どんなに嬉しかったか。ケララへ行く電車は夜バンガロールを出る寝台車だったので、荷物に空気枕やシーツなどもあった。そんなものは今のように電車のなかでもらえなかったから、自分で持っていかなければならなかった。電車に乗ったらすぐ窓側の席に座る。窓から見る夜のバンガロールは静かで、夏でも涼しい風が顔に打つ。窓から美しい景色を眺めるのが大好きだった。少し行くと、都会から離れて、ケロシンランプをつけている貧乏な人々の家が見えてくる。もうちょっと行くと光もなく真っ暗になってしまったら、寝る準備をし始める。寝ると、母なる電車が、赤ちゃんを揺りかごに入れてねかせるように揺れてくるので、ぐっすり眠る。まだ夢の中だが、「おきなさい、もうすぐ着くよ」と母の声が聞こえる。電車がケララのフォームについてくると、姉妹の競争がはじまる。フォームに待っているおじちゃんをまず見つける子がかつ。おじちゃんは背が高いのですぐ見つかる。すべての荷物を持って電車から降りると、電車が「クウウウ… チクブクチクブク」といって、行ってしまう。母なる電車が子どもを行かせるとき「気をつけて」といっているような気がした。



Secret
ショバナ・クリシュナムルティ

 数ヶ月前「Secret」という本が手に入った。題名がおもしろそうなので、読もうと思った。著者はロンダ・バイロンである。読めば読むほど、こころの安らぎを感じた。この本の概要は、「この秘密とは、人々は好むもの、幸せ、健康、財産など、なんでも手に入れることができる。なんでもできる、できないことはなにもない。希望には限界がない」ということだ。その秘密はなんだろう。それは「引力の法則」だ。それを実現させる方法もこの本に明らかに書かれている。
 まず最初は、自分の人生に起こるいいことも悪いことも、すべて自分自身の引力のおかげでできたことだと認識する。それから、自分の好みをじっと頭の中で積極的に考える。その願いがかなうと信じる。それが理解できるように、たくさんの人々の経験が紹介されている。時代を超えて、シェークスピアをはじめ、ニュートンやエジソンなどいろいろな偉い人にもみとめられるそうだ。
 私は帰国後、日本語の勉強を続けられないとがっかりしていた。この本を読んでから、日本語の進学を願って、きっとかなうと信じていたら、その数日後に日本語修士課程の広告が出て、入学もできた。私が学んだのは、何でもできる、できないことはない、ということだ。この「シークレット」の教えをしっかり守ることにした。


子供の時に住んでいた家
アラティ・ゴパラクリシュナ

 私は子供のとき、バンガロールのクマラパークというところに住んでいました。うちの隣に大きなピーパルツリーがあったおかげで、うちはとても涼しくて、夏でも過ごしやすかったです。
 うちは二階建ての一戸建てで、1階に伯父さんと伯母さんが大家として住んでいて、2階にわれわれが住んでいました。2階は1LDKでしたが、われわれが11人で住んでいました。その中には、私と兄と姉と、子供が3人で、高校や大学に通っていたいとこたちが3人いて、いつもみんなで遊んでいました。
 学校は10分くらいの歩ける距離にあって、伯母さんは同じ学校の先生でした。それで、学校の先生たちはみんな伯母の友だちで、うちに行ったり来たりしていましたので、学校にいても親類のうちだと思われるほどいい環境でした。
 今も印象に残っていることは、いとこたちや近所の友だちと遊んでいたことと、家族みんなでテレビを見たり、旅行に行ったりしたことです。


私の日本での生活
サンギータ・デラムパディ

 去年の日に日本に行きました。福島県の天栄村では「かつらぎホテル」に泊まりました。昼間は放射線と天栄村の農業について勉強しました。その後で、他の学生は岩手県と宮城県へ行って、他の学生は東京と大分と広島へ行きました。平日は、私と私の12人の友達は広島の大学へ行っていろんなことを勉強して、週末は平和と原爆のついて勉強しました。私といっしょに他の7人の学生―そのうち3人は男性!―は広島女学院大学へ行って、他の学生は広島経済大学と広島国立大学で勉強しました。最初は昔話や民俗学のようなことを勉強したかったけど、授業にはいったら、全然何もわからなくて、全部英語のコースの授業へ行くことにしました。でも、その日本語のコースを聞いていた時、新しい友達が出来ました。彼女の友達とも友達になって、本当に嬉しかったです。毎週水曜日は大学で授業がなかったけど、いつも昼休みにカフェテリアへ行って、友達といっしょに昼ごはんを食べました。私は新しい学生でしたが、いつも楽しく話して、わからない時は、英語と日本語でがんばって説明してくれました。私の絵もかいてくれました!
 私たちのプログラムのメンバーは全部で5つ以上のコースを受けることができなかったから、最初は宿題が終わったあとはひまな時間がたくさんありました。その時は近くのスーパーで食べ物を買いに行きました。牛乳とヨーグルトとインスタントごはんを買って食べていたのですけど、朝かわったパンを食べた日は、授業の前と後にお手洗いへ行くのが普通になりました。日本行った最初の2週間の時は、「ベジタリアンだったら日本の生活はむずかしいから、がんばって何でも食べよう!」と考えていましたけど… がんばって食べたら、へんな味だった。だからまたベジタリアンになりました。その後では、いつもインスタントのイタリアンのベジタリアンごはんを買って、自分で何か簡単な料理を作って食べていました。
 週末はいつも被爆者の話を聞いたり、広島平和記念公園へ行ったり、平和と原爆と広島の歴史と関係がある講義を聞いたり、いろんなワークショップへ行ったりしていました。広島の別々の大学で勉強していた「絆」プログラムのみんなは、週末このプログラムのため集まりました。女学院大学で勉強している女子学生はアイリス館に住んで、男子学生は近くのアパートに住んでいました。台所と洗濯機とヒーターがあって、アイリス館は便利なところでした。毎月12回ぐらい広島の「絆」プログラムのみんなはアイリス館に集まって、いっしょにごはんを作って食べました。
 毎月1週間は東北へ行くことになっていました。東北へ行って、東日本大震災について勉強して、津波が来たところ、地震があったところへ行きました。二本松へ行った時、人生で初めての地震を経験しました。東北へ行く前の夜、いつも寝ないで宿題をして、新幹線に乗っている時間寝ていました。東北へ行って、「絆」プログラムの他のメンバーに会うのは楽しいことでしたけど、東日本大震災の話を聞くのは悲しかったです。東日本大震災のついてビデオを見るのはつらかったけど、見なければならなかった。いつも東北へ行った時は温泉に泊まっていたけど、みんなといっしょにおふろに入らないで、誰もいない時間早くシャワーを浴びて、温泉には入らないで、すぐ出て来ていました。東北へ行った時食べたベジタリアン料理は天国のようにおいしかったです。
 友達がふえてきて、私は「絆」プログラムの友達と女学院大学の他の外国人の友達と遊びに行きました。マレーシアとアメリカからの友達と私の大好きな「ホビット」を2回見に行きました。「レ・ミゼレブル」も見ました!そして夜ひとりで「ワン・ピースZ」という映画を見に行った時、映画館のなかでいつものように寝てしまいました。
 2013月になると忙しくて、日本人の友達と水曜日の昼ごはんを食べることはあまりできませんでした。最後のプレゼンテーションの準備したり、大学の先生のプログラムに行ったりしました。そしてホームステイへ行った時、自分で野菜お好み焼きを作りました。プレゼンテーションが終わったら、帰る準備をはじました。広島平和記念資料館へ行って広島と原爆についての本をたくさん買いました。中沢啓治が書いた「裸足のゲン」の英語に翻訳した漫画を全部買うことができました。ANT-Hiroshima から原爆についてのDVDを買うこともできて、よかったです。広島での最後の日には、荷物を全部インドへ送って、大学で1人の友達と会うことしかできませんでした。
 2月には、成田空港へ行く前、宮城県へ行きました。あの時津波が来た場所へ行って、いろんな方たちの話を聞きました。東北の方たちがすごくがんばっているのを見ました。その後でプレゼンテーションをするために東京へ行きました。荷物をたくさん送りましたが、残っていた物は重過ぎ!プレゼンテーションの前の日は、「絆」プログラムの友達といっしょに代々木公園と渋谷へ行きました。プレゼンテーションの日はおなかが変。東京から成田のホテルへ行く日、またみんなといっしょに浅草と浅草寺へ行きました。
 インドへ戻っても、日本を忘れない。日本人は優しい、日本には自然が多い。お手洗いはきれいで便利過ぎ。おばあちゃんたちと子供はすごくかわいい。女学院大学の人はみんな優しい。どこから見てもかわいい犬。いろんな国の友達がみんな家族のようにいっしょに住んでたので、離れるのは難しかったです。私たち13人のコーディネーターさんはお母さんのように優しい。だから、あんな機会ができて、いろんな方に感謝しています。日本は本当に天国た!

(サンギータさんはキズナ・プロジェクトで20129月から20132月まで日本に滞在しました)


南アジア日本語弁論大会
 323日コロンボで行なわれた南アジア弁論大会シニアの部で、ディパンジャナさんが2位になりました。バンガロールから南アジア大会への参加は初めて、だから入賞も初めてです。
 シニアの部 2位 ディパンジャナ・デイ「え、まさか男性?」(BNK)


MA Japanese Course. Centre for Global Languages, Bangalore University.
P.K. Block, Palace Road, Bangalore - 560009, India