2012年4月1日日曜日

AGP 4月号


AGP日本語通信 第4号 (2012年4月号)


   私が好きな日本語の言葉
ラーダー・G

 私は4年間ぐらい日本語を勉強している。でも、今までは自分が好きな日本語の言葉について考えることはなかった。しかし、今年からオラクルという会社で働きはじめて、毎日毎日日本語の言葉を聞いたり,読んだり,書いたりしているうちに、いろいろなことばがだんだん好きになってきた。
 まず、「仕事である。日本語を勉強したことがきっかけで仕事ができることになってうれしい。私は20112月からオラクル社の経理部で働いていて、仕事が大好きになった。なぜかと言うと、私のチームは4人とも女性で、仲がいい。それに、私たち4人がいつも日本語だけ使っておしゃべりしたり、なにか料理を教えあったりしていても、ほかの人たちは分からない。それが楽しい。
 毎日日本語を使って仕事しているので、話すことや、どのようにお客様に回答したりするのはだんだん上手になってきていると思う。仕事はあまりむずかしくないし、毎日の仕事をできるだけ時間内にやってしまうようにしている。今も毎日練習をしながら楽しんでいる。先輩と練習するとき、いつも何か間違えて、「ああ、ごめんなさい、間違えました」と言うと、先輩は、「あのさ、敬語で話してね」と言うので、また「たいへん申し訳ございませんでした」と言う。こんなことが大好きだ。この仕事をやめたくないほど好きになってしまっている。1225日には会社でクリスマスパーティーをやった。みんなの名前を小さい紙に書いて、みんなに配る。だれがだれの名前もらっているかだれにも言わないで、次の日だれも知らないようにプレゼントをあげる。この遊びの名前は「Secret Santa」だ。とても楽しかった。日本語がきっかけで、こんなに楽しい生活ができるとはぜんぜん考えてもなかった。私が思うに、ほかの外国語より日本語のほうが本当におもしろくて楽しい。だから、仕事も楽しい。
 二番目に好きな言葉は、「大阪」だ。「大阪」はひとつの地名だけど、バンガロール大学で勉強したこときっかけで、日本へ行くことができた。大阪にある留学生センターで6週間ぐらい勉強して、いろいろなことを習った。そして日本語の先生たちと友達になって、いっしょにいろいろなところへ行ったり、遊んだりして楽しかった。今でもだれかが「大阪」と言えば、鳥肌が立ってしまうほどだ。それくらい楽しかった。その6週間の間に、一人の女性と友達になって、一二度センターの近くの海へ行って遊んだのは忘れられない思い出だ。その留学生センターとバンガロール大学に感謝の気持ちでいっぱいだ。
 三番目に好きな言葉は、「怖い」。だれかに「好きな言葉は何ですか」と聞かれたら、私が何も考えないですぐに答えるのは「怖い」だ。なぜかと言うと、2年前私は日本語の勉強を始めた。最初の授業で先生が「どうして日本語を選んだのですか」と聞くと、みんないろいろなことを言ったが、私は何も言えなかった。そのとき、授業である映画の話を聞いた。それは「Grudge」という映画だ。それでそのDVDを買って、家に帰って夜に姉といっしょに見た。すごく怖かったし、日本の映画についての興味も大きくなった。
 私は日本へ行く前とても緊張してた。なぜかと言うと、初めて外国へ行くので、そこの人たちがどんな人かわからないし、何か困ったときどうしたらいいかもしらなかった。それで、日本語を教えてくれたインド人の先生に聞いた。その先生が言ったのは、日本人は本当に怖くて、困っても何も教えてくれない。どうして怖いのか理由を聞いたら、その先生が日本にいたとき、ある学校の生徒が友達の頭を切って、学校の前に引っかけたと言った。そのとき思ったのは、私が日本で何か間違えたら、このようにされのだろうかということだ。
 もう一つの怖い話は、私は日本にいたとき、13階に住んでいた。センターの図書館から幽霊の本を借りた。それはいろいろな幽霊の話の本だった。日本にどのような幽霊とかお化けがいるかについて書いてあった。日本の幽霊とインドの幽霊はだいたい同じだけど、インドに住んでたとき一度も怖いと思わなかったが、日本では一人で住んでたので、その上夜に一人で本を読んでたので、夜3時に目が覚めて、ぜんぜん寝られなくなった。足がない人が夢に出てきて、その幽霊が私を殺そうとしたので、目が覚めてしまった。外を見たらだれもいないし、一台の車も道にないし、すごく怖かった。

 それから、電話で怖いことがあった。日本に住んでたとき、となりに住んでいる友達が私に電話した。電話をとってもだれも話さないし、何か怖い声がした。すごく困って切ってしまった。その後もう一回電話があった。同じようだったので、私はワイヤーを抜いたのだけど、またピーピー鳴っていた。そのときはとても怖かったけど、日本から帰った今は、何か怖いことがあったら一回落ち着いて見てみようかな感じになって、怖いという言葉がかえって好きになった。
 ほかにもいろいろな好きな日本語の言葉があるが、上に書いた三つの言葉が中でも大好きだ。


うち
アップー・GB
 辞書は「うち(home)」を「ずっと住んでいるところ」とていぎします。でも、わたしたちにとって、うちはそれだけですか。それがうちの本当のいみですか。
 生まれて45日で、父母と兄と私はサウジアラビアのダマムへ行きました。私は人生の3分の1をそこですごしました。そこでようちえんに入りました。そのとき、私にとってダマムは私のうちでした。
 ダマムに6年いたあとで、私たちはインドに帰りました。バンガロールがわたしの次のうちになりました。
 生まれてから7年生のときまで、私は毎年かぞくと、父の生まれた町、ケララのムヴァトゥプラへ行きました。小さなこどもだった私には、その旅行はほかの旅行と同じで、特別なものではありませんでした。そこで私たちはおじや祖母とすごしました。いとことあそびました。都会からきたので、そこは特別な場所でした。どこを見ても緑です。いちばんすばらしいのは川でした。よくそこで泳ぎました。川の水は、何かすごい感じでした。それから、お寺に入ったときのおだやかなかんかく。でも、そのあと2年間私たちはそこへ行いきませんでした。
 10年生のとき、私たちはまたムヴァトゥプラへ行きました。私はあまりよく覚えていませんでした。列車にのっているとき、不安なきもちでした。その気持ちの理由がわかりませんでした。ムヴァトゥプラに着いたら、昔の記憶がたくさんもどって来ました。私はほほえみました。そこには、私のうちがわに暖かく感じられるものがありました。その時、私はその感覚のいみがわかりませんでした。2年の後でも、町はあまり変わっていませんでした。いとこたちはちょっと大きくなっていました。ポーチのグヴァの木も大きくなって、町はちょっと発展していました。父が私を連れてうずらの卵を買いに行っていたみせは、かわっていませんでした。私はその間ずっと、よくわからないかんかくを感じていました。それが何なのか、わかりませんでした。それについて考えましたが、うまくいきませんでした。それで、それをこころのべつのところにしまっておくことにしました。残りの時間を楽しみました。停電の時の、ほたる。緑のあかりが周りに浮かんでいる。それをとららえて、びんにいれます。すこしして、はなしてやります。そして、すべての旅行とおなじく、私たちはバンガロールにかえりました。
 帰るとき、私はもういちどあの感覚について考えました。それは、おもしろくて、すばらしいものでした。それが何かしりたいとおもいました。そのとき、私はこたえにいたりました。それは「うち」です。私は「うち」にいました。ケララは私の「うち」です。
 私は、「うち」とは場所ではなくて、感覚だとわかりました。じぶんのうちがわに、うけいれられているという感じをかんじるときです。「うち」は、せんざいいしきが私たちに「おかえりなさい」というときです。

(この2つはエッセイコンテストに応募した作文です。おもしろいと思いましたが、選外でした。入賞すれば、賞品がもらえます。入賞しなくてもおもしろいもののために、この「AGP日本語通信」があります。)


インドのゲーム チャウカ・バーラchowka bara
アラティ・ゴパラクリシュナ

 チャウカ・バーラは右のようなボードで遊ぶゲームで、2人から4人が遊べる。図にあるように、5×5のマスを描いて、それぞれが4つのコマを使って行なう。
いちばん外側にある×印のマスからゲームを始める。まず、各プレーヤーがひとつの×印のマスを自分の「家」と考えて、そこに自分のすべてのコマを置く。ダイスとして二枚貝の貝がらをつ使い、おもてかうらかで1か0に数える。プレーヤーは出た数によってひとつのコマを図のように反時計回りに動かす。内側に入ったら時計回りになる。
 各プレーヤーが順番に貝がらを投げる。自分の「家」から始め、「家」の左隣のマスから内側に入る。ターゲットは真ん中のマスである。
 ゲームのルールとしては、貝がらで4か8を出した人は、もう1回投げることができる。2回の合計点でコマを動かす。×印のないマスに2つの別のプレーヤーのコマを置くことはできない。そうなったら、はじめに置いた人のコマが死んだと見なされ、そのコマを「家」にもどす。他の人のコマを殺していないかぎり、内側に入ることはできない。順番にやっていき、はじめにすべてのコマを真ん中のマスにもっていった人が勝つ。


池上 嘉彦(いけがみ よしひこ)先生の「認知言語学」講義
 私は大学で312日にあった池上嘉彦教授のこうぎに出席しました。東京からいらっしゃいました。池上先生は、なにかを話すときの人のいろいろな表現のしかたを説明しました。こうぎはとてもおもしろくて、日本の文化とか、生活とか、言語とかがよくわかりました。特に日本語で話すときにやくにたちます。こうぎは英語だったから、わかりやすかったです。でも、私はまだ4級レベルですから、それを日本語で書くのは難しいですが、頑張ります。
 こうぎのトピックは、Subject(主体)とObject(客体)を比べて、なにか対比するポイントを見つけるやりかたを説明することです。それには、いろいろな状況を説明して、主体と客体の使いわけはどうして必要かを言われました。いろいろな表現を説明するとき、たくさんの例をあげて、いろいろな国の学者の考え方を教えてくれました。
 池上先生によると、
①さいしょのポイントは、a.主体や客体に身をおいて状況を説明するとき、文法や言葉を使います。b.主体と客体を対比します。
②人は同じ状況について話すときも、表現が違うことがあります。
Subjective Construal(主観的把握)とObjective Construal(客観的把握)
主体が主であるとして状況を説明することと、客体が主であるとすること。
 たとえば、日本語の「ここはどこですか」と英語の"Where am I?""Where is he?"と同じ)
Subject-Object Merger(主客合一)
これは、状況の中にいるようにそうぞうして、主体と客体に身をおいているんです。これが日本人のたいどだと思うといわれました。
 たとえば、「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」(英語の訳:"The train came out of the tunnel into the snow country."
 Hindsによると、アメリカ人は理解させるのは話すひとのせきにんだと思います。日本人は聞く人のせきにんだとおもっています。りょうほうともせきにんがあるとおもってわかりやすく話をするといいと言われました。
MK・ラクシュミー)


カンナダ語クラス参観の池上先生を囲んで その右隣リーラ先生

今月のカンナダ語
Niivu elli idhiiri? Shivaaji nagaralli idhiiraa? (ニーヴ・エッリ・イディリ?:あなた・どこに・いる? シワジ・ナガラッリ・イディラ?:シワジ・ナガルに・いるか?)
Howdhu. Naanu Shivaaji nagaralli idhiini. (ハウドゥ:はい。ナーヌ・シワジ・ナガラッリ・イディニ:私・シワジ・ナガルに・いる)
Avaru roomalli idhaaray. Avara bekku saha alli idhey. (アワル・ルーマッリ・イダレ:彼・部屋に・いる。アワラ・ベック・サハ・アッリ・イデ:彼の・ねこ・も・そこに・ある)
Alli obbaru / ibbaru / muuru jana idhaaray.
 (アッリ・オッバル/イッバル/ムール・ジャナ・イダレ:そこに・ひとり/ふたり/3・人・いる)
Illi ondhu / eradu / muuru idhey.
 (イッリ・オンドゥ/エラドゥ/ムール・イデ:ここに・1/2/3・ある)
Uuta maadoonwa? (ウタ・マードーンワ?:食事・しようか?)
Maadooona. (マードーナ:しよう)
Nanna jothey banni. (ナンナ・ジョテ・バンニ:私の・いっしょに・来い)
Naanu alligay hoogalla. Avaru saha hoogalla. (ナーヌ・アッリゲ・ホーガッラ:わたし・そこへ・行かない。アワル・サハ・ホーガッラ:彼・も・行かない)
Nivu ii kelasa maadthiira athawa maadallawa(ニーヴ・イー・ケラサ・マーディラ・アタワ・マーダッラワ:あなた・この・仕事・するか・または・しないか?)
Maadalla. (マーダッラしない


弁才天学芸祭 Saraswathi Academic Festival


428日(土)1400
日印楽器演奏(ヴィーナ、尺八)
短歌・俳句奉納
研究発表「南インドと日本」(MA課程生)
 だるま・カレー・桟留織・タミル語・ヴィシュヴェシュワラヤについて
講演(題目未定)
作文コンクール結果発表・表彰
インドの学問の神様サラスヴァティは日本に入って弁才天になりました。サラスヴァティ/弁才天の加護を願い、日印関係の発展も祈り、学芸の発表を行ないます。ぜひおいでください。

・作文コンクール「インドと日本の絆」
 日印修交60周年を記念して、作文コンクールを行ないます(1500字程度)。
 全国規模の募集では年齢制限があって、学習者の年齢の高いバンガロールはいつも苦労します。バンガロール規模の募集では、年齢制限はありません。あるもんですか。

・奉納短歌・俳句・川柳募集!
 弁才天/サラスヴァティに上達を祈願して、短歌・俳句を奉納しませんか。日本人の半分は詩人(しかも、文語をつかう「古典詩人」)だということを、インド人に見せてあげましょう。








KOYOミートアップ(318日)で
日本人学生と生まれて初めて「あっち向いてホイ!」をやって、注文どおり負けるインド人。
楽しい会でした。

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